本質を見極める眼は信念によって培われる。

実際的な生産物を作らない限り長く実際的な評価は得られない。


メディアアートなどは思いつきで行われ容易な手段によって実装される。
製作者たちは流行り病のような生産物によって虚構に近い評価を得て自己顕示欲を満たす。
その潤いは砂漠で飲むアルコールのように渇きを呼ぶ。


実際、ある一定以上の評価を得ると、それより先に自分がどう活動すれば褒めてもらえるのかわからなる。
最近、若手のギークを見ていると、そういう理由で迷走している人を良く発見する。


こういう場合、適切に進行方向を定めてあげる必要がある。
宗教アレルギーが蔓延するこの国で彼らはおそらく、信念に携わる部分を幼少期に獲得する機会が無かったはずだ。
故にそれを獲得している人間が適切にガイドを勤めるという義務が生じる。


彼らの生産性を社会に還元するということは、すなわち社会の発展によって所属する自分にその利益が帰ってくるということだ。


それに失敗すると、国家のリソースが損なわれる可能性が高い。
かつてそういう人の多くは反政府運動に身を投じるなどして、害悪と化す事が多かった。
自分がケアできる範囲はケアしているが、方法論に従わない人も居るからな・・・。どうしたもんか。

名門大学と言っても人間の質は低い

人間の質について考えた時に、自分の母校の卒業式を思い出した。
僕の母校は入学する人間の半数以上は大学入試に人生のピークが発生しており、基本的に別に頭が良いわけではない。
受験のテクニックだけ持っているただのガリ勉である。
ガリ勉故に女性経験もリーダーの役割も希薄で、一旦権力に手を染めると手のつけられない我侭な子供のようになってしまう。


田舎成金と表現したら善いだろうか?とりあえず高貴さのかけらも無い人間の集まりである。


その卒業式謝恩会の1コマ
ちなみに謝恩会にはOBや、下級生も何人か参加している。
卒業生や指導教員とのコネクションのためだ。


女性経験に希薄な彼らは卒業旅行でマカオ・ペキン・タイ・フィリピンなどを回り、現地で売春をしてきた話題で盛り上がっていた。
日本の女すらろくすっぽ抱いたことが無い彼らにとって、外国人の女を抱くことは吹聴をとめることが出来ないくらい新鮮な経験だったのだ。


そして、その品の無さを女子生徒からたしなめられるとこう嘯いた。
「ODAをしてやってるだけだ」
そしてパーティが終わるまで売春をODAと置き換えて話題を続けた。


同級生には外国からの留学生が大勢居る。
特に発展途上国からの留学生は今後、母国の中枢に上っていくエリートだ。
その留学生を前にしてこの侮辱的な発言を平気で出来る彼らの知性を疑った。


彼らは生粋のレイシストだった。
きっと留学生諸君は日本人の同級生に、自国の女を買われた挙句、「ODA」などといわれた屈辱を忘れないだろう。
逆の立場ならば忘れない。


外国人を尊敬しろとは言わないし、僕も外国で住んでいた手前、彼らの多くが尊敬できないことも肌身で知っている。
しかし、長期戦略として考えて国家のディジジョンに携わる予定の人間にそういう印象を持たれる発言をするのは馬鹿だと思う。


彼らは生粋のレイシスト故に、そこまで考えが及ばないのだろう。
そして、生粋のレイシシストゆえに白人に遺伝子レベルで平伏してしまうのだろう。


そういうところからこの国の未来の暗さを垣間見た。

IQテスト

http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20100226/1267177578
ちょっと、今回は大幅な差をつけて勝ったぜw


しかし、IQテストも最近飽きて来た。
特に海外のテストは母国語じゃないから疲れる。
124以上のスコアを獲得すると、メンバー登録が出来るんだけど・・・

メンバー登録にお金がかかるらしい。
しかも結構高いぞ!

棍棒を持ったインテリになる。

>糸柳は変人で難があるが、技術力は確かなので会社に残している。
ドワンゴはただの奇人変人を集めている会社ではない。

ドワンゴの川上会長が糸柳について昔、僕がしていたのと同じ指摘をしていた。
愚か者というのは、才能ある変人の愚かな部分だけ真似て、自分も才能があるような気分になりたがる傾向があると思う。
僕は自分の才覚を自覚しているので書くけど、まわりにも僕のルーズなところとか、適当なところとか、悪いところばかり真似たりする人が何人か居る。


でも、僕の生産性は知性に依存するところであって、この知的生産社会において、僕は自分が才能によってルーズで無頼漢でも社会に受け入れられるのを知っているから自分の生き方を貫いているだけだ。


ネットで活動して有名なギークにも言えることだけど、みんな自分が才能があるのを本心では気づいていて、自由な生き方を選択している。
この件に関して周りの人にははっきり告げることが義務だとおもう。


そうしないと、安易に模倣するので周りの才能のない人たちは、悪いところばかり真似して、結局彼らに良い影響を与えられない。
人は皆、身の丈にあった暮らしをすべきであって、他人の生活に惑わされるべきではない。
金持ちの浪費を貧乏人が真似したところで破産するだけなのはわかりきっている。
他人の生活を羨み、自分の生活をさげすんだところで惨めな人生がより一層、惨めにになるだけだ。


たとえば僕は学生時代に起業した。
学生起業家としてはそれなりの成果も出した。
でも僕は懇意にしている技術者の後輩、いわゆる天才ギークの人たちが起業したいって言ってるときは否定する側に回る。
彼らは技術者としては類稀なる才能を持っている。
だからこそ、起業してよかったことよりも悪かったことを重点的に話す。
会社にとって重要なのは技術力ではなく経営力であって、技術者にそういう才能を持った人は少ないから。
むしろ失敗した事例の方が多く聞く。残念ながら、個人プレイで業績を重ねてきた彼らに経営手腕は備わっていない。
他人を働かせる術や他人が何によって行動するかを知らないからだ。


かと言って、寄ってくる自称ビジネスマンたちに任せることを勧めるのか?というとそれは違う。
寄ってくる人のホトンドは経営の能力が無い。
たまたま成功しちゃった運が良い人か、もしくは食い物にしようとしてくる人がホトンドだ。
そもそも経営の才能というのは持っている人の方が少ない。
就職で最難関と言われるコンサルティングファームの人間だって同じだ。
この程度のやつでも採用されるんだっていうのが半分以上を占める。
だからこそ、ファームの離職率ブラック企業ほど高い。
軍隊に戦えない兵隊は必要無いのだ。軍事戦略のノウハウから生まれたコンサルティングファームではその問題を良く理解している。


そういう中で、ごく一部居る本当の経営者を見つけて、上手く飼って貰う必要がある。
その為には、才能が無いなりに経営学を学ぶ必要があるだろう。
むしろ才能が無いからこそ学ぶ必要性が高い。
才能があるなら、学ばなくても良いのだ。
現代の若い著名なギークは教育によって自らの専門性を成し得たのだろうか?
違う。
彼らは趣味で、自学自習した結果、専門性を手にいれたのだ。
研究を志さないでビジネスの世界に行きたいのであれば、高等教育で学ぶ必要は無い。


特にIT分野の学生でビジネスを志す人が情報理工研究科やら工学研究科、理学研究科に進むのは全くもって間違っていると思う。
ソフトウェアの研究は自宅で出来るのだ。
それよりもと戦う術を身につけて欲しい。
書物を持った青ヒョロいインテリは暴徒や野蛮人の前に容易くひれ伏すのだ。
書物の知識はすでに頭にあるのだから、棍棒に持ち替えて愚か者に抵抗する術を身につけるべきだ。
経営学は学問とは言い難いが、少なくとも詐欺師を見抜く力はつくだろう。

破壊的イノベーションはイノベーションの意味を破壊しまった。

朝から忙しいと言うid:nishiohirokazuと夜な夜なイノベーションについて議論をした。
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20091015/1255636108
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20100222/1266864838
イノベーションのジレンマという本を知っているだろうか?

この一冊以降全く泣かず飛ばずになってしまった、経営学会の一発屋、クリステンセンのデビュー作である。
はじめに言っておこう本書はセンセーショナルな内容を扱った素晴らしい書籍だ。
眼から鱗の内容が書かれており、必読書と言わざるを得ない。
しかしMBAでは、同時に最低の悪書の一つとして知られている。


さて、ハードカバー327ページもある本書だが、その中でセンセーショナルな内容というのは1%に満たない。
しかし、この1%が本当に重要なダイヤモンドで、必読なのだ。
そして残り99%の著者すらも書いている当時は理解できていなかったくだらない内容が、1%のダイヤモンドを覆い隠している。


本書に書かれているセンセーショナルな内容は1行でまとめることが出来る。

既存製品と同一の技術に基づいた設計思想の異なる低性能な製品を、市場に投入することでもイノベーションが起きる事例が多数観測された。

たったこれだけだ。
なんだこんな内容か?と思う人も居るかもしれない。
しかし、この事例は経営学会を震撼させた。


それまでイノベーションと言うのは何らかの新しい発明や技術革新など何らかなポジティブな要素によってもたらされると信じられてきた。
しかし実際は、ネガティブな要素によってももたらされることが証明された。
だからこの発見について特別に『破壊的イノベーション』という言葉が割り振られたのだ。


ここで扱われる破壊的という言葉は、根本から変えるとかそういうポジティブな意味ではない。
これも日本人に誤解を招きやすい表現だとおもう。
この『破壊=disrupt』はもっと否定的なネガティブな意味しか有していないのだ。


そして、この発見は当のクリステンセンにとってあまりにも大きすぎた。
結果、著者は纏め上げることに難航し、残り99%に全く関係ない、従来の意味でのイノベーションも多々含んでしまった。
故に少なくともドラッカー全集の『イノベーションと企業家精神』を読破していない一般人が読むことは絶対おすすめしない。
時間が無い人は旧『イノベーション起業家精神(上)』くらいは読むべきだろう。

経験上、本書の読者の90%は誤読し、MBAの学生でも半分以上が誤解したまま卒業する。
書籍を言葉尻でしか理解できない人は事前の知識無しに読むことを絶対してはいけない。


さて、この本がなぜ悪書なのか聡明な方ならばもうお解かりだと思うが、事例を踏まえて説明しよう。
なぜ誤解・誤読が起きてしまったのか詳しく紐解く必要があるほど、この書籍が日本の経営界に引き起こした誤解は大きい。
そして、誤解の流れに乗って、多くの三流経営学者たちが、産業廃棄物のようなエピゴーネンを生み出してしまったことは、この国のイノベーションを遅らせてしまう原因の一つになるだろう。


この書籍を読んだ学生を観察していると、その多くが中二病に似た症状を発生するようになる。
何かにつけて『破壊的イノベーション』という単語を使いたがるのだ。
それだけ、この書籍の影響力が大きいことがうかがい知れる・・・。


学生の発言は例えばこんな感じだ。
SSDは破壊的イノベーションだ!
・電気自動車は破壊的イノベーションだ!
・インターネットは破壊的イノベーションだ!
蒸気機関は破壊的イノベーションだ!

これらは大きな間違いだ。
どういう間違いかというと、破壊的イノベーションや破壊的技術を従来の技術革新によるイノベーションと混同してしまうことにある。
これらは本を理解せずに言葉尻だけ記憶して読了してしまうと発する副作用なのだ。


前述のように破壊的イノベーションの発生には、対になるハイエンド技術とローエンド技術が必要になる。
SSDを破壊的であるとするならば、それに対応する製品などが必要になる。
しかし、SSD以前に半導体ディスクがPCで利用された事例は無い。
それどころか、現在利用されているSSDが最も高性能だ。


その反論にHDDを上げてくる学生も多い。
良く考えてみてくれ、HDDの技術でSSDが作れるだろうか?
記憶媒体と言うアプリケーションとしては同一かもしれないが、これらは根幹の技術から全く異なる別の製品だ。
HDDとSSDの関係が破壊的イノベーションだとしたら、従来のイノベーションは何になる?
この何処に破壊性、否定的な要素があるのだろう?


そんな当たり前のイノベーションを扱った書籍を、ハーバードビジネススクールが扱うと思っているのだろうか?
そんな当たり前のことを扱った論文の、何処に新規性があるのだろうか?
そんなわけ無いのだ。
この書籍は悪書だけどすごくセンセーショナルで、すごく新規性のあることを扱っている。
これは事実だ。
なぜ多くの読者が誤読してしまうのだろう?
有名大学を優秀な成績で卒業したビジネスエリートの彼らに、なぜこんな間違いが生じるのか?


これはMBAの過程が早急すぎることに由来している。
学生の多くが初めて読む『イノベーション』を扱う本が『イノベーションのジレンマ』かそのエピゴーネンになってしまっているからだ。
イノベーションという言葉を聴いたことがあっても、その内容について経営学的観点から扱ったことは無い。
その結果、本文中で散りばめられている、『いわゆるイノベーションの事例』と『新規性のある破壊的イノベーションの事例』を混同してしまう。


彼らは、イノベーションという単語のセンセーショナルさに感けて、破壊的イノベーションまで理解が及ばない。
本来であれば、イノベーションという単語を扱うにあたってその始祖であるシュンペーターから学ぶべきところを、最近のMBAではイノベーションをクリステンセンから学ぶことになってしまう。
これが誤読の原因だ。
そして、当のクリステンセンも実は破壊的イノベーションについて、理解していないというのがよく言われている。
その証拠に彼はそれ以降迷走してしまって、前述のように一発屋で終わった。


イノベーションのジレンマと言う書籍は、クリステンセンと言う運の良い凡才が、偶々見つけたセンセーショナルな事例を、周りが持ち上げてしまったに過ぎない。
だから必読書ではあると同時に悪書として扱われてしまうのだ。


この書籍を読む際には細心の注意を払う必要がある。
多くの読者は、本書を理解するには不十分な知識量しか持ち合わせて居ないにも関わらず、不幸にも誤解するために十分な知識量は持ち合わせてしまっているのだ。
この本は素晴らしい内容なので、是非誤読しないように読んで身の糧にして欲しい。
本書はあらゆる意味で、20世紀経営学書における最大の問題作と言えるだろう。


加筆

この書籍と似た性質を持っている本にニーチェの書籍が上げられると思う。
本書も経営学の専門書であるが、ニーチェに関しても哲学の書籍なのだ。
新書と同じ本棚に陳列され、口当たりの良い文学的な表現をされたニーチェの文章は一般人で手に取る機会がある。
そして哲学書として唯一売れ筋だ。
しかしあれらは哲学の専門書なのである。読解するためには2500年以上積み上げられてきた哲学史と神学を理解していなければならない。哲学の専門教育を受けていないものが一冊読んだくらいでニーチェについて語ろうものならば、噴飯モノなのだ。

経営学という非常に疑似科学的で歴史も浅く、いまだかつて一流の学者が数えるほどしか生まれていない学問の世界ではこういった誤読者を一笑にふせる人々が少ない。
しかし同じことが本書にも言えるのだ。

話題に感けて流行りモノのように本書を読もうとする低脳な人々が手に取るべきは岩崎氏の考えたドラッカー、いわば岩崎氏の排泄物である『野球部マネージャーの書かれてる本』である。
しかもそこで得られるような岩崎氏の排泄物ですら彼らに活用するような機会は今後ほとんど発生しないのだ。

あいきゅーてすと

下はこの間はかった僕のIQ。

一緒に測ったのは5人の友人(うち2名は一般に天才と言われる部類の人)で平均値は135.4だった。
その数日後にIQ依存すると言われているパズルゲームで再び勝負。
結果はの順位は同じ感じ。
しかし、ここでわかった事実がある。
アスペルガー傾向がある人はミスをしたあとにあまり動揺せず、コンスタントに実力が発揮出来る。
しかし、そうではない人はミスした後に能力が低下する傾向がある。
また、1対1で戦った場合、よりIQに依存する戦いとなる傾向が強い。
さらに、記憶力に由来する戦いではIQと勝率の相関性は見出せなかった。

終戦記念日

平和の和をとって和子と言うなの母は終戦とか敗戦とかだと気に入らないらしい。
平和祈念をかたくなに主張する。
しかし、彼女によっていつも僕は家庭の平和を乱されてきた。
これが僕が自称平和主義者を懐疑的に見るようになった原点である。