破壊的イノベーションはイノベーションの意味を破壊しまった。

朝から忙しいと言うid:nishiohirokazuと夜な夜なイノベーションについて議論をした。
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20091015/1255636108
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20100222/1266864838
イノベーションのジレンマという本を知っているだろうか?

この一冊以降全く泣かず飛ばずになってしまった、経営学会の一発屋、クリステンセンのデビュー作である。
はじめに言っておこう本書はセンセーショナルな内容を扱った素晴らしい書籍だ。
眼から鱗の内容が書かれており、必読書と言わざるを得ない。
しかしMBAでは、同時に最低の悪書の一つとして知られている。


さて、ハードカバー327ページもある本書だが、その中でセンセーショナルな内容というのは1%に満たない。
しかし、この1%が本当に重要なダイヤモンドで、必読なのだ。
そして残り99%の著者すらも書いている当時は理解できていなかったくだらない内容が、1%のダイヤモンドを覆い隠している。


本書に書かれているセンセーショナルな内容は1行でまとめることが出来る。

既存製品と同一の技術に基づいた設計思想の異なる低性能な製品を、市場に投入することでもイノベーションが起きる事例が多数観測された。

たったこれだけだ。
なんだこんな内容か?と思う人も居るかもしれない。
しかし、この事例は経営学会を震撼させた。


それまでイノベーションと言うのは何らかの新しい発明や技術革新など何らかなポジティブな要素によってもたらされると信じられてきた。
しかし実際は、ネガティブな要素によってももたらされることが証明された。
だからこの発見について特別に『破壊的イノベーション』という言葉が割り振られたのだ。


ここで扱われる破壊的という言葉は、根本から変えるとかそういうポジティブな意味ではない。
これも日本人に誤解を招きやすい表現だとおもう。
この『破壊=disrupt』はもっと否定的なネガティブな意味しか有していないのだ。


そして、この発見は当のクリステンセンにとってあまりにも大きすぎた。
結果、著者は纏め上げることに難航し、残り99%に全く関係ない、従来の意味でのイノベーションも多々含んでしまった。
故に少なくともドラッカー全集の『イノベーションと企業家精神』を読破していない一般人が読むことは絶対おすすめしない。
時間が無い人は旧『イノベーション起業家精神(上)』くらいは読むべきだろう。

経験上、本書の読者の90%は誤読し、MBAの学生でも半分以上が誤解したまま卒業する。
書籍を言葉尻でしか理解できない人は事前の知識無しに読むことを絶対してはいけない。


さて、この本がなぜ悪書なのか聡明な方ならばもうお解かりだと思うが、事例を踏まえて説明しよう。
なぜ誤解・誤読が起きてしまったのか詳しく紐解く必要があるほど、この書籍が日本の経営界に引き起こした誤解は大きい。
そして、誤解の流れに乗って、多くの三流経営学者たちが、産業廃棄物のようなエピゴーネンを生み出してしまったことは、この国のイノベーションを遅らせてしまう原因の一つになるだろう。


この書籍を読んだ学生を観察していると、その多くが中二病に似た症状を発生するようになる。
何かにつけて『破壊的イノベーション』という単語を使いたがるのだ。
それだけ、この書籍の影響力が大きいことがうかがい知れる・・・。


学生の発言は例えばこんな感じだ。
SSDは破壊的イノベーションだ!
・電気自動車は破壊的イノベーションだ!
・インターネットは破壊的イノベーションだ!
蒸気機関は破壊的イノベーションだ!

これらは大きな間違いだ。
どういう間違いかというと、破壊的イノベーションや破壊的技術を従来の技術革新によるイノベーションと混同してしまうことにある。
これらは本を理解せずに言葉尻だけ記憶して読了してしまうと発する副作用なのだ。


前述のように破壊的イノベーションの発生には、対になるハイエンド技術とローエンド技術が必要になる。
SSDを破壊的であるとするならば、それに対応する製品などが必要になる。
しかし、SSD以前に半導体ディスクがPCで利用された事例は無い。
それどころか、現在利用されているSSDが最も高性能だ。


その反論にHDDを上げてくる学生も多い。
良く考えてみてくれ、HDDの技術でSSDが作れるだろうか?
記憶媒体と言うアプリケーションとしては同一かもしれないが、これらは根幹の技術から全く異なる別の製品だ。
HDDとSSDの関係が破壊的イノベーションだとしたら、従来のイノベーションは何になる?
この何処に破壊性、否定的な要素があるのだろう?


そんな当たり前のイノベーションを扱った書籍を、ハーバードビジネススクールが扱うと思っているのだろうか?
そんな当たり前のことを扱った論文の、何処に新規性があるのだろうか?
そんなわけ無いのだ。
この書籍は悪書だけどすごくセンセーショナルで、すごく新規性のあることを扱っている。
これは事実だ。
なぜ多くの読者が誤読してしまうのだろう?
有名大学を優秀な成績で卒業したビジネスエリートの彼らに、なぜこんな間違いが生じるのか?


これはMBAの過程が早急すぎることに由来している。
学生の多くが初めて読む『イノベーション』を扱う本が『イノベーションのジレンマ』かそのエピゴーネンになってしまっているからだ。
イノベーションという言葉を聴いたことがあっても、その内容について経営学的観点から扱ったことは無い。
その結果、本文中で散りばめられている、『いわゆるイノベーションの事例』と『新規性のある破壊的イノベーションの事例』を混同してしまう。


彼らは、イノベーションという単語のセンセーショナルさに感けて、破壊的イノベーションまで理解が及ばない。
本来であれば、イノベーションという単語を扱うにあたってその始祖であるシュンペーターから学ぶべきところを、最近のMBAではイノベーションをクリステンセンから学ぶことになってしまう。
これが誤読の原因だ。
そして、当のクリステンセンも実は破壊的イノベーションについて、理解していないというのがよく言われている。
その証拠に彼はそれ以降迷走してしまって、前述のように一発屋で終わった。


イノベーションのジレンマと言う書籍は、クリステンセンと言う運の良い凡才が、偶々見つけたセンセーショナルな事例を、周りが持ち上げてしまったに過ぎない。
だから必読書ではあると同時に悪書として扱われてしまうのだ。


この書籍を読む際には細心の注意を払う必要がある。
多くの読者は、本書を理解するには不十分な知識量しか持ち合わせて居ないにも関わらず、不幸にも誤解するために十分な知識量は持ち合わせてしまっているのだ。
この本は素晴らしい内容なので、是非誤読しないように読んで身の糧にして欲しい。
本書はあらゆる意味で、20世紀経営学書における最大の問題作と言えるだろう。


加筆

この書籍と似た性質を持っている本にニーチェの書籍が上げられると思う。
本書も経営学の専門書であるが、ニーチェに関しても哲学の書籍なのだ。
新書と同じ本棚に陳列され、口当たりの良い文学的な表現をされたニーチェの文章は一般人で手に取る機会がある。
そして哲学書として唯一売れ筋だ。
しかしあれらは哲学の専門書なのである。読解するためには2500年以上積み上げられてきた哲学史と神学を理解していなければならない。哲学の専門教育を受けていないものが一冊読んだくらいでニーチェについて語ろうものならば、噴飯モノなのだ。

経営学という非常に疑似科学的で歴史も浅く、いまだかつて一流の学者が数えるほどしか生まれていない学問の世界ではこういった誤読者を一笑にふせる人々が少ない。
しかし同じことが本書にも言えるのだ。

話題に感けて流行りモノのように本書を読もうとする低脳な人々が手に取るべきは岩崎氏の考えたドラッカー、いわば岩崎氏の排泄物である『野球部マネージャーの書かれてる本』である。
しかもそこで得られるような岩崎氏の排泄物ですら彼らに活用するような機会は今後ほとんど発生しないのだ。