デスマーチと技術者倫理

ビジネススクール時代の日本人の友人で、研究畑に残った人が居る。
彼は元々教育関係の会社に勤めており、大学も人文系出身だ。
現在の専門は日本の技術者倫理で、なんでもかんでも技術者倫理的話題につなげたがる傾向がある。
まあ、研究者だからそれは良いのだけど・・・。


僕は学生の頃、一番最初に持った専門領域が科哲の科学技術倫理だった。
だから、彼とはそこそこ倫理の話題が出来る。
でも、僕は自分で勉強した結果、正直、技術者に対してそんな束縛するような明文化する倫理は必要ないと思っている。
技術は運用されて初めてその結果が生じるモノだから、技術者を明文化した倫理で完全に束縛してしまったらエネルギー技術も、自動車技術も停滞するだろうという立ち位置からそういう結論に至った。。


それはさておき、彼と話していて、『自分が信用できる技術者とは何か?』という話になったときに
『私が信用できるのは、デスマーチを乗り越えた技術者だ。』と僕が回答したところ
それに対して彼は、『論文でもなんでも、納期に収まらないモノはすべてダメだから、不完全なモノでも納期を優先するべき。そのような意見には同意できない』と返答した。


僕はこれに関して大いに憤りを感じた。
現在の日本では技術者がドライブフォースとなって製品開発を行うことが少ない。
技術者が精いっぱい働いた結果、納期に間に合わなかった場合は多々あって、この責任は基本的に、<無理な開発線表を引いたプロジェクトマネージャ>と、<そういった案件を取ってきた営業>と、<その稟議を通した管理職>にある場合が多い。
これは現場で技術者として就業経験のある人ならば、実感として持っている不満だろう。
無茶なプロジェクトが発足し、業務を理解していないプロジェクトマネジメントが、元々無茶だったプロジェクトをさらに炎上させる。
そして、人月換算の為に、現場経験の無い新人が大量投入され、ドンドン炎上していく。
こういった状況はミリタリーオタクの技術者からは<泥沼化したベトナム戦争>などに例えられることが多い。
開発の最前線はまさに戦場である。


しかし、プロジェクトが炎上した場合、彼が言うように納期を優先して不完全な製品をリリースした場合、非常に大きな問題が発生する。
たとえば、原子炉開発をしていた場合に、デスマーチが発生し、納期を優先した場合どうなるか考えてみる。
原子炉は不完全なまま納品され、それが稼働した場合、いつメルトダウンが起きてもおかしくない。
メルトダウンが起きた時に、どの機能が不完全かはわからないが、フェイルセーフ機能が不全だった場合、核燃料棒が地面を突き破り、地下水脈に到達して水蒸気爆発を起こして、甚大な量のフォールアウトが発生する。
その結果、チェルノブイリとは比較にならないレベルの被害が起きるだろう。


だから、不完全な製品はリリースしてはならない。
技術者は納期の達成が物理的に不可能な場合、それを遅らせてでも、機能を及第させる必要がある。
我々が開発する製品というのは、多かれ少なかれ、人間の生活に影響を及ぼす。
たとえば、一見、人の命に関わらない、ECサイトの開発ひとつとっても、その結果によって相手先企業の雇用者を失職させ、生命・身体の危機に直面させる可能性を秘めている。
これは恐らく、真っ当な技術者が皆持っている倫理観ではないだろうか?


正直、技術者倫理の研究者がこれに対して何も考えていないことに閉口した。
このような研究者が、技術者の倫理を研究し、政策に提言して明文化した場合、社会に対して甚大な問題が生じると思う。


たとえば生命倫理の研究は、ヒポクラテスの誓いに代表されるように、紀元前から行われている。
現在、研究においては、医師を主とする医療関係者と最前線の哲学者以外、発言権が無い。
これは、実際を知らない人間や専門知識が無い人間が口を挟んだ場合、社会に対して甚大な影響が出るというコンセンサスが長い期間を通じて取られているからだ。
しかし、技術者倫理についてはこの問題が軽視されている。
技術者の経験が無い人が簡単にこの分野に参加可能で、なおかつ最前線に立つことができるのだ。


生命倫理を研究していたころ、僕は自分に発言権が無いことに憤りを持っていた。
そして研究がすすめられなくなったため、当時得た様々な知識を武器に技術者として生き、経営の世界へと向かった。
哲学の世界にいたせいで、実学は下賤という意識が強く、コンプレックスに悩まされることも多い。


しかし、今は僕に発言権を与えなかった生命倫理の世界は正しかったと思う。
そして、技術者としても哲学者としても経験を持たず、技術倫理を研究する彼は、そのどちらかの経験を有するまでアカデミックにおける発言権を凍結されるべきだと思った。
戦場を知らない人間が、戦争を語ることが滑稽なように、実際を知らない人間が倫理を語ることもまた滑稽である。
彼にそれが理解できるだろうか?
難しいだろうな。